うな丼誕生の秘密
うな丼発案者「大久保今助」と「牛久沼」
江戸時代後期に江戸日本橋堺町に芝居の金方(資金を出す人)で、鰻の大好きな大久保今助という人物がいた。その今助が故郷である現在の茨城県常陸太田市に帰る途中、水戸街道を牛久沼まで来て、茶店で渡し船を待っているときに鰻が食べたくなり、蒲焼きとドンブリ飯を頼んだ。
ところが、注文した品が出てきたとき「船が出るよー」の声。今助はドンブリと皿を借り、ドンブリ飯の上に蒲焼きののった皿をポンと逆さにかぶせて船に乗り込み、対岸に着いてから土手に腰をおろして食べたところ、蒲焼きが飯の温度で蒸されていて、より柔らかくなり、飯にはタレがほどよくしみこんで、これまでに食べたどこの鰻よりもうまかった。
その後、どのように「うな丼」が広まったのかは、いくつかの説があります。一つは、今助が帰りに茶屋に食器を返しながら、その話をし、茶屋が出すようになったところ、水戸街道の名物になったというもの。もう一つは、今助が自分の芝居小屋でうな丼を売り出して江戸から広まったという説。さらに、うな丼が牛久沼の茶屋で出されるようになった一方、今助は、自分の芝居小屋で芝居に付きものの重詰めの代わりにご飯に蒲焼を載せさせて重箱を取り寄せ、それが江戸でうな重としてとして広まっていき、庶民にも、うな丼の形で提供するようになったという説もあります。
江戸時代の水戸街道と牛久沼の渡し
水戸街道を江戸方面から来て、小貝川を渡ります。そのまま水戸街道を陸路で進むよりも、小貝川沿いに北上して牛久沼を船で渡ることで距離を短縮することができたと考えられます。
大久保今助も、このルートで牛久沼を渡ったと考えることができます。この渡しの距離から推測すると所要時間は、約10分。かば焼きをご飯の上に載せて船で渡り、陸に上がって食べたとすれば、ご飯の熱で、かば焼きが丼全体になじんで特別な味になっていたというのは、十分納得できる話です。
龍ケ崎は、うな丼発祥の地
創業数十年以上の老舗が並ぶ、龍ケ崎市うなぎ街道。厳選された素材と、素材の良さを生かす伝承の技術
龍ケ崎市の牛久沼沿いは、知る人ぞ知る「うな丼発祥の地」。国道6号線の牛久沼湖畔は、何十年も続くうなぎの老舗が軒を連ね、うなぎ街道と呼ばれています。
取手方面から国道6号線を北上すると道路の両側に桑名屋、伊勢屋、鶴舞家、そして山水閣と続くうなぎ料理の専門店。狭い地域で味を競い合っているだけあって、いずれ劣らぬ名店ぞろいで、東京を初め、関東近県からお客が集まります。
厳選された新鮮なうなぎを素早くさばき、「下焼き」とていねいな「蒸し」の後じっくりとたれを潜らせながら焼く――各店とも仕事のていねいさには定評がありますが、「串打ち三年、割き八年、焼きは一生」と言われるように、うなぎをおいしく調理するには年数に裏付けられたしっかりした職人の技術が必要。牛久沼湖畔のうな丼には「大久保今助」に始まる伝統と長年培ってきた技術がしっかりと生きています。
うなぎはビタミンAが豊富で夏バテに効くといわれています。皆さんも「うなぎ街道のうなぎ」を、ぜひご賞味ください。
龍ケ崎うなぎ街道のうなぎ専門店
名称:伊勢屋【臨時休業中】
所在地:龍ケ崎市稗柄町125
電話:0297-66-0965
特徴:明治35年創業の老舗。牛久沼のほとりに鎮座する建物からの風景は一見です。
名称:桑名屋
所在地:龍ケ崎市佐貫町3669
電話:0297-66-3504
特徴:庶民的なお手ごろ価格の店。昔の、うな丼発祥のままに提供させていただいております。
名称:山水閣
所在地:龍ケ崎市庄兵衛新田282-40
電話:0297-66-2350
特徴:会席料理とうなぎの店。各種宴席・お食事など牛久沼を眺めながらいかがでしょうか。
名称:鶴舞屋
所在地:龍ケ崎市庄兵衛新田町282-12
電話:0297-66-1168
特徴:備長炭使用の店。うな重はもとより、こちらから眺める夕刻の牛久沼も格別です。
龍ケ崎うなぎ街道以外のうなぎ専門店
名称:いしがみ
所在地:龍ケ崎市4150
電話:0297-62-6927
特徴:龍ケ崎旧市内で昔より川魚屋を営む老舗で、店内は昭和ロマンをかもし出す作りです。