沿革
- 龍ケ崎市消防団は昭和29年3月20日、龍ケ崎町外六ケ村が合併し龍ケ崎市となる。同時に消防団も統合され、7支団51分団、2,065名をもって組織する
- 昭和32年組織の合理化を図るため支団制を廃止し、一部分団の統合を図り33分団、1,260名の組織とした
- 昭和36年龍ケ崎市消防団常備部設置審議委員会を発足し、翌昭和37年に龍ケ崎市消防本部が設置された
- 昭和39年抜本的な改革を行い、10分団、団員は700名をもって組織し、機械器具はポンプ自動車10台、小型動力ポンプ29台となった
- 昭和50年龍ケ崎市外3町5村をもって、稲敷地方広域市町村圏事務組合消防本部を発足する
- 昭和53年には、ポンプ自動車9台、小型動力ポンプ27台、団員は570名となった
- 平成元年に、ポンプ自動車8台、小型動力ポンプ付積載車26台、団員定数550名となった
- 平成5年に、消防団長波の無線局を開設し、運用を開始した
- 平成24年に、ポンプ自動車9台、小型動力ポンプ付積載車24台、団員は508名となった
- 平成25年に、第6分団6部(板橋)と7部(大塚)が合併。ポンプ自動車9台、小型動力ポンプ付、積載車23台、団員は510名となった
- 令和4年にポンプ自動車11台、小型動力ポンプ付積載車22台、消防団員数の減少により団員定数500名となった。
- 令和6年にポンプ自動車11台、小型動力ポンプ付積載車22台、更なる消防団員数の減少により団員定数430名となった。
写真でみる市消防団の歴史
「写真集 龍ケ崎 ふるさとの今と昔」(昭和56年10月25日竜ヶ崎青年会議所発行)より転載
消防出初式
操法大会
秋季合同演習
昭和26年に11月に行われた茨城県消防協会竜ヶ崎支部秋季合同検閲、竜小校庭での操法大会の様子。この大会は、ポンプにホースをつなぎ放水するまでの手順を競うものである。
出来事
明治16年1月18日
繁華街から出火し、折からの西風で447戸が全焼した。
明治40年8月26日
利根町地内で小貝川が決壊し、浸水地区は16町村にわたり家屋の流出8件、浸水家屋3,202戸、田畑の浸水が7,439ヘクタールに達した。
昭和10年9月26日
小貝川下流龍ケ崎市高須橋付近で堤防が決壊し、12,000ヘクタールの田畑が浸水し、多大の損害を被った。
昭和13年6月
佐貫町牛久沼の堤防が決壊し、14,000ヘクタールの耕地が浸水した。
昭和16年7月
牛久沼が氾濫し、10,000ヘクタールの耕地が浸水した。
昭和50年4月4日
林野火災が発生し、6時間後に鎮火したが、17ヘクタールを焼失した。
昭和56年8月24日
台風15号の大雨により高須橋付近の小貝川が決壊し、他町村でも河川の氾濫をもたらした。
これにより、2,691ヘクタールの田畑に冠水被害、家屋半壊42棟、床下浸水1,278棟、負傷者3名の被害が発生した。
平成6年2月15日
日本消防協会より最高栄誉賞「まとい」を受賞した。
平成9年8月21日
自衛隊ヘリコプターと民間セスナ機が空中衝突し墜落炎上、死者3名の被害が発生した。
平成21年10月8日
台風18号の影響による竜巻が大徳町付近で発生した。
これにより、東西約200メートル、南北約4.5キロメートルの範囲で、負傷者4名、家屋の半壊16棟、一部損壊107棟の被害が発生した。
平成23年3月11日
東日本大震災が発生した。
当市の震度は5強で、人的被害として死者1名他負傷者5名、建物被害では、全壊1棟、半壊80棟、一部損壊は7,700棟超であった。
また、ライフラインでは、水道の送水管が破損したことにより数日間の断水が発生した。
令和5年6月2日・3日
本州付近に停滞した梅雨前線と台風第2号に伴う大雨の影響により牛久沼が越水した。
建物被害として、半壊1棟、床上浸水1棟、床下浸水20棟であった。
消防団は、延べ86人が排水作業や土のう積みなどの災害対応を行った。
▲ポンプ自動車による排水作業
龍ケ崎消防の歌
作詞:中山利生
作曲:山田明
- 筑波を北に 利根川の流れにきそう 若き血よ県南の都 龍ケ崎我ら 誠もて消防の
責任 を担 う この誇り 水魔 の怒り 何ものぞ炎の叫 び怖 れんや県南の都 龍ケ崎我ら 手をくみて消防の大義 に生きる この盟 い- 桜の
標 胸の花市民のねがい 身に負 いて県南の都 龍ケ崎我ら たゆみなき消防の
行く手に拳 る この精華
この曲は、消防団員の分列行進や消防出初式パレードなどで流しています。