安楽寺=あんらくじ(川原代町)
天台宗安楽寺(恵雲山蓮華院)は川原代町の住宅街にありますが、表門から山門、そして本道までの参道がゆったりと続き、密集した住宅街にある寺院とは思えない広さです。
戦国の末期、下妻の多賀谷政経と岡見中務の合戦が、安楽寺近くの川原代の地で行われ、そのときの戦火で回廊や釈迦堂など多数消失したといわれています。
安楽寺には県指定重要文化財の鰐口(寺社の堂前につるし、参詣者が引綱を振り打ち鳴らして祈念する鋳銅製の金鼓)があります。
鼓面は柔らかに盛り上がり、力量感にあふれたものです。
鐘座は中央に蓮華紋を鋳出し、表裏とも各3本の覆輪付きで、銅紐つり手が2カ所付いており、表面の外輪に沿って左右に彫銘があります。
右側に「総州相馬郡河原代安楽寺鰐口也・天台堅者賢海法印住之砌」、左側に「文和弐年癸巳六月十九日大勧進沙門榮金」とあります。
文和2年(1353年)は南北朝時代に当たり、世情不安定なころです。
そこで、天台宗の高僧・賢海法印が安楽寺に来住されたのを記念して、大勧進沙門(寺院建立を司る僧職)が納めたものです。
なお、同年の「安楽寺推鐘・沙門榮金……」の銘がある梵鐘が、千葉市郷土館に所蔵されています。
安楽寺の近くには、承平5年(935年)に平将門に討たれて戦死した叔父・平国香の供養塔がありますが、その形態から鎌倉末期(14世紀)ごろのものと考えられ、また国香は10世紀前半の人物であることから、国香の墓であることは考えられません。
とはいえ、この塔は県内でも屈指の石塔に数えられるほど秀逸の宝筐印塔です。
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