佐貫駅ヒストリーとは…
令和2年3月14日にJR常磐線佐貫駅の駅名改称が行われ『龍ケ崎市駅』が誕生します。
市では広報紙『りゅうほー』で佐貫駅の歴史を振り返るコラムを掲載しています。
No.1常磐線は当時最良のルートで建設。龍ケ崎での反対運動はなかった?
No.2龍ケ崎市にあるのになぜ佐貫駅?
No.3昭和50年代から60年で大きく変わる佐貫駅
No.4『龍ケ崎市駅』誕生!3月14日(土曜日)~JR「佐貫駅」から「龍ケ崎市駅」へ~
No.5佐貫商店会マップを手に駅周辺を巡りませんか?
佐貫商店会マップを手に駅周辺を巡りませんか?
駅周辺を賑やかに、ワクワクするような街を作ろうと活動する佐貫商店会さんは1970年に創立し、今年で50周年を迎えます。
佐貫商店会さんでは、駅周辺のグルメ情報やスポット情報を紹介する佐貫商店会マップ「佐貫探訪~佐貫駅周辺マップ~」を定期的に発行しています。デザインは商店会加盟の市内在住デザイナーが担当したそう。
かわいらしいタヌキの「さぬきち」が目印のマップで、駅周辺を巡ってイチオシのお店を探しませんか?
配布場所:龍ケ崎市観光物産センター、たつのこ産直市場、佐貫商店会加盟店など
(龍ケ崎市広報紙「りゅうほー令和2年2月後半号」掲載)
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JR常磐線「龍ケ崎市駅」への改称日が、JR東日本のダイヤ改正などにあわせ、令和2年3月14日(土曜日)に決定しました。
改称日に記念セレモニーやイベントなどを予定しています。詳細は決まり次第お知らせしますので、ご期待ください。
なぜ、新駅名は「龍ケ崎市駅」?
平成27年に結んだ当市とJR東日本水戸支社との覚書を受け、「龍ケ崎市」「JR龍ケ崎」「龍ケ崎佐貫」の3案を新駅名候補として要望しました。(注)
いずれも当市の位置関係を明確にし、すでにある駅との混合を避けられるよう考慮したものです。
消費増税延期などに伴う改称日延期があった後、国土交通省などへの手続きが完了し、平成30年7月に新駅名が「龍ケ崎市駅」に正式に決定しました。
(注)JR常磐線佐貫駅名改称にかかる駅名候補を要望(平成27年6月)
東日本旅客鉄道株式会社水戸支社に対し、次の3案を新たな駅名候補として、平成27年6月に要望しました。
JR常磐線佐貫駅名改称にかかる駅名候補を要望(報道発表資料)
他にもある”〇〇市駅”
関東では、山梨市駅(JR中央本線)、足利市駅(東武伊勢崎線)、佐野市駅(東武佐野線)、野田市駅(東武アーバンパークライン)など。
他にも、関西の駅では特に多く見られます。
(龍ケ崎市広報紙「りゅうほー令和2年1月号」掲載)
第3回目は、昭和50年代から60年にかけて駅を大きく変えた駅の橋上化についてです。
橋上化される前の佐貫駅
現在の姿になる前の佐貫駅は、改札が地上にある駅だったのをご存知ですか。
当時の駅舎は明治28年に建てられたもので、昭和50年代後半頃まで東口ロータリーはなく、関東鉄道竜ヶ崎線佐貫駅が併設されていました。
また、竜ヶ崎線とは線路が接続され、貨物輸送も行われていました。
(写真:工事中の佐貫駅東口)
昭和60年、佐貫駅東口・西口を結ぶ橋上化
佐貫駅の橋上化が完成したのは、つくば科学万博が行われる直前の昭和60年3月。
これにより、地上2階に改札が設置され、東口と国道6号線側の西口が連絡通路で結ばれました。ロータリーも設置され、駅利用者の利便性が高まりました。その後も、屋根やタクシープールの設置、関東鉄道竜ヶ崎線佐貫駅の駅舎改修などを経て、現在の姿になっています。
(龍ケ崎市広報紙「りゅうほー令和元年10月後半号」掲載)
前回のコラムを見た方から「龍ケ崎市にあるのになぜ佐貫駅?」とのコメントをいただきました。
今回はなぜ「佐貫駅」と名付けられたのかを紐解きます。
1町6村の合併で生まれた龍ケ崎市
龍ケ崎市が生まれたのは、昭和29年3月20日。合併で稲敷郡馴柴村、大宮村、八原村、長戸村、北相馬郡北文間村、川原代村が龍ケ崎町へ編入され、誕生しました。
さらに昭和30年2月に北相馬郡高須村の一部が編入されて、現在の龍ケ崎市になりました。
駅開業時の所在地は馴柴村佐貫
JR常磐線佐貫駅の誕生は明治33年。開業当時は龍ケ崎市誕生前であり、稲敷郡馴柴村佐貫が駅の所在地でした。
そのため、近隣のほかの駅名と同様に、所在地の町の名前である“佐貫”を関する駅名「佐貫駅」と名付けられたと言われています。
馴柴村の合併を経て、龍ケ崎市内に所在することとなった佐貫駅は、市の玄関口として、まちの発展や市民の通勤・通学を見守ってきました。
(写真:東口ロータリーがない昭和55年頃の佐貫駅)
(龍ケ崎市広報紙「りゅうほー令和元年7月後半号」掲載)
初コラムとなる「佐貫駅ヒストリー」は龍ケ崎に伝わる鉄道忌避伝説はホント?です。
常磐線は当時最良のルートで建設。龍ケ崎での反対運動はなかった?
龍ケ崎に伝わる「都市伝説」のひとつとしてよく聞くのが「日本鉄道土浦線(今の常磐線)」は反対運動によって佐貫付近と通るコースとなったというストーリーです。
龍ケ崎だけでなく、千葉県流山市にも同様の伝承があるいわゆる「鉄道忌避伝説」の多くは史実がなく、現在では虚構であったと判明しています。
明治期の鉄道建設は、未熟な土木技術の制約のためトンネルや橋梁の数が少なくできるだけ短い距離となることが基本でした。常磐線は、福島県浜通りから茨城県日立市にかけて存在した常磐炭鉱の石炭を京浜地区に速く・大量に輸送できるようなルートで建設されました。
また、比較として検討されたルートにも龍ケ崎はなく、計画がないところには反対運動が起こりえず、現在のルートが技術的・経済的に当時の最良ルートだったのです。
(写真:蒸気機関車が走る佐貫駅)
龍ケ崎市駅誕生アイキャッチが完成!
龍ケ崎市駅誕生に向け、卵から“龍ケ崎市駅が生まれる”をイメージしたデザインのアイキャッチを市職員が制作しました。
割れる殻の亀裂は線路で表現し、下部に龍ケ崎の街並みのシルエットを入れ、鉄道×龍ケ崎を想起されるようなマークとしています。
今後はのぼり旗など、さまざまなシーンで活用していきます。
(龍ケ崎市広報紙「りゅうほー令和元年5月前半号」掲載)