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金剛力士立像

更新日:2018年3月1日

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種別:彫刻
指定年月日:昭和53年3月22日
所在地:龍ケ崎市城ノ内5-22
管理者:桂昌寺
像高:吽形像高210cm、阿形像高200cm
金剛力士立像二体は、もとは八代町富士神社の仁王門に祀られていたものである。富士神社は、社伝によると鎌倉時代の正治2年(1200年)の創立で元亀2年(1571年)に江戸城主土岐治英の保護のもとに再興されたという。
この像の体内にあった『寛文十三丑九月吉日富士山二王勧進帳』によると、現龍ケ崎市域の他に牛久市域、稲敷市域(江戸崎町、新利根町、桜川村)、阿見町、河内町、美浦村から奉加が寄せられ、広範囲に信仰を集めていた。その後も江戸時代を通じて富士神社とこの像に対する信仰は保持されたと思われるが、明治の廃仏毀釈の影響でこの像も野に捨てられた。それを惜しんだ寺崎弥右衛門氏がしばらく自宅に祀っていたが、後に桂昌寺に移され、現在に至っている。
金剛力士は、仁王ともいい、上半身裸形で裳をうけ、金剛杵をもつ。もともと金剛杵の威力を人格化させたもので仏陀を守護する力士であったが、仏法を守護し、邪悪をしりぞける像として寺門や須弥壇左右に安置される。桂昌寺では、本堂の前脇に安置されている。閉口の吽(うん)刑像、口を大きく開ける阿(あ)刑像とともに、近世初頭の造形を示す優品である。

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