種別:彫刻
指定年月日:昭和54年3月22日
所在地:龍ケ崎市小通幸谷町7-1
管理者:慈眼院
像高:104cm
寺伝によると、天慶年間(938~947年)に平貞盛が父国香の菩提を弔い、自領の民心を安定させるために、川原代に安楽寺を、小通の川岸に観音堂を建立したのが、小通幸谷の十一面観音の始まりとされている。天正の初め(1753年~)、若柴の金龍寺の開祖である由良国繁は、岡見家一族の供養のために七観音の一つで、由良の家老和田民部が奉行となり、観音堂は清水山慈眼院観音寺と改められた。当地の十一面観音が眼病に霊験があると信じられ、当時は境内も広く寺領も一町歩あり、遠近の参諸者や参観者が多かったと伝えられている。
江戸時代は真言宗で、土浦市大岩田の法泉寺の末寺であり、貞享2年(1685年)に十一面観音堂が再興されている。
明治初年の神仏分離令に際し無壇無禄寺院として廃寺となったが、同8年(1875年)村中の総意により、七観音・八薬師の由緒をもって、若柴の金龍寺の末寺として再興され、曹洞宗に改められ現在にいたっている。
本尊十一面観音像は、恵心阿闍梨の作とされているが、詳細は不明である。
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