種別:歴史資料
指定年月日:昭和53年3月22日
所在地:龍ケ崎市馴馬町2488番地
管理者:龍ケ崎市
慶長11年(1606年)3月3日、仙台藩主伊達政宗は徳川幕府から常陸国河内郡龍ケ崎で1238石余、信太郡13か村で5344余、龍ケ崎以外の河内郡12か村で3473石余、計1万石の加増を受け、龍ケ崎に陣屋が置かれた。寛文3年(1663年)8月、幕府による新利根川の開鑿・谷原新田開発のために龍ケ崎を除く河内郡は召上げられ、筑波郡四ヶ村と替地になったが、陣屋は幕末まで龍ケ崎に置かれ、仙台藩龍ケ崎領の政務は、この陣屋で行われた。
この「仙臺領」と刻まれた石柱は龍ケ崎内の知行地の四隅に領域を示すために設置された標柱と考える。古老の話によるとそのうちの一基は砂町の東端に建てられていたという。
現在残っているのは、龍ケ崎市歴史民俗資料館に保存されている二基のみである。この石柱は、かつて上町にあった龍ケ崎尋常小学校の通用門に使用されていたが、小学校が根町に新築されて、学校跡地が公園として整備されたとき、その地に保存されることとなり、歴史民俗資料館が建設された際に、龍ケ崎の歴史の一頁を飾るものとして歴史民俗資料館に展示されることとなったものである。
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